祭りの写真など

八幡大神宮秋祭り本宮、2016年9月11日、その2

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2016年9月11日、大阪市旭区北清水八幡大神宮の秋祭り本宮の宮入の続き
両国から

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両国もまずは宮入から。


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宮出して、地車囃子と手打ち
この辺りの太鼓枠は担ぎ上げるときと下ろすときにも手打ちをしますね。
うちまーしょ、もひとつえ、よーやさーの


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宮前で暴れます。


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他の村でもそうですが、暴れるときにしばしば担い棒の上に立って囃し立てます。




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上之辻の宮入。木遣りを先頭にやってきました。
摂津国の上辻村、河内国の下辻村は村の名前が対応していました。下辻村は現在の鶴見区鶴見です。


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太鼓枠は2台。


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まずは宮入


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境内で差し上げ。この日は上辻だけだったような気がします、境内で差し上げしたの。


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出てきて手打ち


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そして2台で暴れます


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危ない!


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2台で暴れまわります。2台ってええですよね。2台でやるのは別所、上辻、北清水の3つ。


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私は上辻と北清水が好きですねえ。
特に上辻は大阪市内で唯一?祭り装束として締め込みが現存しています。
今年、青年会発足70周年だったそうです。戦後すぐの結成?



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最後は宮本の北清水
木遣り、太鼓枠2台、ギャルみこし


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太鼓枠は今年に新調されています。重たくなったそうですね。


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ギャルみこしも宮入。

ここまで見て帰りました。



メモがてら
八幡大神宮は名前が多いです。
地名を冠さない八幡大神宮が正式。
鎮座地の地名の変遷によって馬場八幡大神宮、北清水八幡大神宮と呼び方が変わる。北清水という地名は清水村が大阪市に編入された1925年誕生。
「摂津志」には「三社神祠」と見える。
清水の地名は当社が清水神社と呼ばれたことによる。(http://www.city.osaka.lg.jp/asahi/page/0000000379.html
不焼宮(やけずのみや)という別名がある。
馬場神社とも言われる。鎮座地の清水3丁目界隈、旧北清水町が馬場村と呼ばれていたことによります。
愛称では、地元や近隣地域では八幡さんや八幡と呼ばれるし、ちょっと古いと馬場の宮さんとか呼ばれたみたいです。

祭礼は夏祭り、秋祭り(放生祭)、稲荷祭など
・夏祭り:7月第2日曜日。北清水は獅子舞が巡行。また西暦奇数年には氏子6団体合同でお渡りが行われます。
・秋祭り:9月第2日曜日と前日。氏子6団体の太鼓枠などの巡行のほか子供神輿なども巡行。
・稲荷祭:3月春分の日。摂社の不焼稲荷社の例祭。山伏による護摩木法要や火渡りなど。
また往古は10月の秋祭りに地車が出たそうですが電線の敷設などにより明治末期を最後に曳行なくなり、大正初期には廃絶。今馬場(北清水)は解体されるも彫物が今も残っているらしいです。別所の地車は森河内本郷で曳行されています。

八幡大神宮の氏子はだいたい今の地名で言うと清水と新森です。馬場村(現・北清水)、上辻村、般若寺村(現・両国)、別所村、貝脇村(1889年この5村が合併して清水村)の鎮守。
北清水、上辻、新森若葉会(別所)、両国第一、両国第二(御旅所)、新森若連会の6団体が主な団体で9月の秋祭りに太鼓枠を出すほか、西暦奇数年に行われる夏祭りの六人乗り太鼓枠(六人枠)は6団体合同で担がれます。

・北清水:太鼓枠、獅子舞、ギャルみこし、地車囃子、木遣り
 往古は馬場村。宮本地区。清水3丁目界隈。公民館は神社目の前です。1925年に清水村が大阪市東成区に編入された時に北清水町(清水村の北部の意味)という地名が誕生し1971年の住居表示が実施されるまで地名としてありました。
 往古は摂津国東成郡馬場村でした。隣接して河内国茨田郡馬場村がありましたが、後者は守口市馬場町として今も地名が残っています。この2つの村の関連は不明。ちなみに守口市の方の馬場は世木とともに高瀬神社の氏子です。高瀬神社には太鼓枠があることも注目ですねえ。
 北清水地車囃子保存会と北清水青年会という2つの団体があります。区別がよく分かりませんが、2つの団体合わせて太鼓枠(2台)、獅子舞、木遣り、ギャルみこし、地車囃子があります。(2016年祭りで見て確認した限り)
 北清水地車囃子保存会は1966年に発足、北清水青年会は1976年発足。地車囃子保存会発足40周年記念として2007年に獅子舞が復活。2016年夏に地車囃子保存会結成50周年・青年会結成40周年記念として夏祭り本宮午前中に記念巡行を実施し、木遣り、獅子舞、太鼓枠(2016年新調)、ギャルみこしが町内を一周しました。
 往古は地車があり10月の秋祭りに出ていましたが、電線敷設などで明治末期~大正までに廃絶。地車は解体され、一部の彫物は現存しているとか。

・上辻(かみのつじ):太鼓枠、木遣り
 往古は上辻村。上之辻、上ノ辻とも。清水2丁目・3丁目界隈。1971年の住居表示実施まで上辻町(かみつじちょう)という地名がありました。祭りのとき、拠点は清水3丁目9の清水北公園におかれます。2016年に青年会発足70周年を迎えたと聞きましたが・・・?大阪市内唯一、締め込み(ふんどし)が現役で着用されています。昭和30年代の祭り風景写真を見るとすでにそのころには今と変わらない形の太鼓枠が巡行していたようです。
 京阪千林駅と地下鉄清水駅を最短で結ぶ道は元々水路だった跡で清水新道と言います。
 ちなみに、鶴見区鶴見の旧地名は下之辻ですが、これは滋賀県坂本の辻村の人々が現在の鶴見に移り住んできたときにすでにあった上辻村に遠慮して辻村ではなく下辻村としたとか。

・新森若葉会(別所):太鼓枠、木遣り、地車
 往古は別所村。現在の新森7丁目界隈。祭りの拠点は旭東会館。
 太鼓枠2009年新調。
 地車囃子は2006年に始まり、2013年には守口市滝井より地車を譲受し、八幡大神宮では長らく絶えていた地車が復活しました。2代目の地車となるようです。2015年の夏の御渡りに随行し、100年程ぶりに地車が宮入りしました。
 なお地車は10月下旬の新森まつりにも登場し、練り回しも行われるようです。

・両国町:第一と第二に分かれる。
 往古は般若寺村。両国町は1971年の住居表示実施まであった旧地名。清水4丁目・5丁目界隈。両国町の地名由来は摂津国と河内国の境目であることから。1892~1910年の地図の時点で般若寺村は2つの大きなまとまりがあるように見えます。
 ・両国第一:太鼓枠。
 ・両国第二(御旅所青年会):太鼓枠。八幡大神宮御旅所は清水5丁目府道159号沿いにあります。御旅所が拠点。

・新森青年団若連会:太鼓枠
 新森中央公園公園あたり。1990年結成、2000年より太鼓枠を出しているようです(新森青年団若連会mixiコミュニティの2010年の書き込み参照)。他の5団体が旧来の村からの連続性があるのに対して、新森青年団はそういう連続性は無いようです。拠点は新森中央公園にある新森会館。昔(00年代まで)は新森小橋辺りが拠点だったようです。

・貝脇村
 1889年にほか4村と合併して清水村となったあとも大字として、大阪市に編入後も町名として名前が残るが1971年の住居表示が行われて消える。現在の新森1丁目界隈。現在、太鼓枠などは無い。


★夏祭り 7月第二日曜日
偶数年は獅子舞などの巡行、奇数年はそれに加えて六人枠によるお渡り
六人枠は六人乗りの太鼓枠で、氏子6団体から1人ずつ乗る。
祭りの日、お渡りは9時に神社を出発、上辻、新森青年団、別所(新森若葉会)、両国第一、御旅所(両国第二)、北清水と回り、15時頃神社へ帰還する。
2015年には初めて別所の地車も随行した。

★秋祭り 9月第二日曜日基準の土日
金曜日は夜に触れ太鼓として太鼓枠を担ぐみたい。試験担ぎ(肩均し)は祭り前の適当な日にやってる様子。
宵宮は各町巡行。
本宮は13時~17時にかけて順次各団体が八幡大神宮に宮入りする。宮入時、町によっては木遣りを先頭に入場する。町によっては太鼓枠と子供太鼓枠の2台で宮入し、2台とも担ぐこともある。
各太鼓枠などは町域関係なく、神社氏地全体を巡行する。
複数団体による合同担ぎなどもあるみたい。
盛り上がる場所は神社前、内環横断時、千林駅前商店街、森小路駅前、各町の拠点前など。神社前の宮入以外は夜がメイン。

★新森まつり 10月下旬日曜日
新森中央公園で行われるイベント。2013年から別所の地車が出ている。後部を持ち上げて回転させる練り回しも行われる?


★太鼓枠とは
 天神祭の催太鼓が当地に伝わり、独自に発展した枕太鼓の一種である。太鼓台としては最も簡易な部類に入る。
 太鼓を入れ込む枠を組み、これに担い棒を左右に1本ずつとりつけ、枕を取り付けたものである。2人乗り、4人乗り、6人乗りがある。6人乗りは夏のお渡りでのみ登場する。2人乗りは子供太鼓として扱われることが多い。
 太鼓の叩き手は長頭巾を被るので、やはり天満宮の催太鼓の影響が濃い。太鼓を叩くとき、バチを拍子木のように打ち鳴らす動作が入る。
 屈伸運動で大きく揺さぶったり、差し上げたりして暴れるように担ぐ。太鼓台としては最軽量の部類なので、動きはかなり派手なものになる。前後の枕の両端辺りに綱が付いていて動きを制御する。姫路の台場差しのような差し上げや、尼崎の梵天太鼓の様な横倒しなどの曲芸的な担ぎ方は無い。
 掛け声は「こりゃこりゃ」を基本に「わっしょいこりゃ」も合の手的に入る。太鼓台を落としそうな時や盛り上げたいときに「あげあげ」などもある。差し上げでは「さいたさいた」という。「差した差した」の訛ったものか。
 太鼓台を担ぎ上げるときと下ろした時に手打ちをする。「うちまーしょ、もひとつせ、よいやーさーの」
 祝儀が出ると手打ちの後に激しく担ぐ。
 巡行時、台車に載せる場合もあるが、担いで巡行することも多い。
 すぐ隣接する守口市高瀬神社にも太鼓枠があり、ほぼ同じ担ぎ方である。
 八幡大神宮と高瀬神社のみで見られる独特の太鼓台文化であると言える。 



 参考文献 
大阪市のサイトに旭区の地域史が公開されています。→ http://www.city.osaka.lg.jp/asahi/page/0000174707.html
新森若葉会ホームページ→ http://www.wakaba-kai.net/
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